「全ての道はローマに通ず」の語源は?
ローマ帝国の全盛時代、世界各地からの道が首都ローマに通じていたことから、物事が中心に向かって集中することのたとえとしていう。 17世紀、フランスの詩人ラ・フォンティーヌが書いた『寓話』の『裁判官と修道士と隠者』にある言葉「All roads lead to Rome.」に由来する。
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「全ての道はローマに通ず」の例文は?
「全ての道はローマに通ず」の例文
僕と君は同じ道を目指しているはずなのに、考え方がまるで違うね。 だけど全ての道はローマに通ずというだろう。 全ての道はローマに通ずとばかりに、首都への一極集中化が進んでいる。
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「通ず」とはどういう意味ですか?
つう・ずる【通ずる】
1 道筋が他とつながる。 また、道筋をつける。 ㋒大小便が出る。 5 相手とつながりをもつ。
全ての道はローマに通ずの原文は?
古代における格言であり、ラテン語原文では「omnes viae Romam ducunt.(羅:すべての道はローマへ導く)」といいます。
千里の道も一歩からとはどういう意味ですか?
成句 千里の遠い所へ行くにも足元の第一歩から始まるの意味であって、大事を為すのにも小事を積み重ねることによって至るという譬え。
全ての道はローマに通ずの作者は誰ですか?
塩野七生 『すべての道はローマに通ず―ローマ人の物語X―』 | 新潮社
乙なんです?
東京でよく使われる「乙な味だね」とか「乙だね」という言葉。 乙というのは、甲より下である。 つまり、一番前には出ていない。 この控えめな感じを「乙だね」というのであろう。
何すれば通ず?
一方で、「窮(きゅう)すれば通ず」という諺もあります。 これは、中国の古典のひとつである『易経』(えききょう)に出てくる言葉です。 その意味は、「絶体絶命の窮地に追い込まれれば、人はかえって名案が浮かび、行くべき道が開けるものだ」という意味です。
「ローマにあってはローマ人のごとくせよ」の意味は?
(ローマではローマ人のようにしなさい。) 長く家から離れ、新しい場所に移り住んだ時には、新しい環境やそこの習慣に順応しなさいという意味。
案ずるより産むが易しとはどういう意味ですか?
ことわざ 心配していても実行してみれば意外に簡単なこと。
大海の水も一滴からとはどういう意味ですか?
「大海の一滴」とは、「とても広いところに極めて小さなものがあることのたとえ」です。 海の中にある一粒の水滴を、「とても広いところに極めて小さなもの」にたとえているのです。 また、このことわざは「人間の存在の小ささや、その儚さ」を表す際にも用いられます。
ポエニ戦争の語呂合わせは?
【前264年】ポエニ戦争 踏むよ(264)カルタゴ、象軍団。
「オツな味」とはどういう意味ですか?
乙な味の「乙」とはなにか? 食事の際に口にしたものが、単に「美味しい」だけでなく、ちょっと風変わりでおしゃれな感じだったり、趣があるとか、味わい深いと感じられるときなどに使う「乙な味」という言葉。
「オツなもの」とはどういう意味ですか?
気が利いていて、ちょっといいと思わせるさまなどを意味する表現。 他もよいが、これもまた趣きがあってよい、といった意味で用いる。
「貧すれば鈍する」とはどういう意味ですか?
「貧すれば鈍する」というのは、「貧乏になるとその性質や頭の働きまでも愚鈍になる。」 (『日国』)という意味で、「鈍」は「愚鈍」の「鈍」すなわち、無知で間抜けなという意味である。
石の上にも三年とはどういう意味ですか?
ことわざ (「石の上にじっと3年も座っていれば、石も暖まる」ということから)どんなに辛くても辛抱していれば、やがて、何らかの変化があって、好転の芽が出てくると言うこと。
ローマを表すことわざは?
「ローマは一日にして成らず」のことわざは,ヨーロッパ文化の中心がローマ帝国にあったことから,ヨーロッパで古くから共有されていたことわざです。 大きな仕事や学業は一朝一夕には成し遂げることはできないことを伝えたいとき,「ローマは一日にして成らず」は例えのことわざとして最適です。
ローマのことわざの英語は?
“ローマ”とあるように実は英語のことわざが元になっています。 “Rome was not built in a day.” 決して短期間で完成するものではないということですね。
「石の上にも三年」とはどういう意味ですか?
ことわざ (「石の上にじっと3年も座っていれば、石も暖まる」ということから)どんなに辛くても辛抱していれば、やがて、何らかの変化があって、好転の芽が出てくると言うこと。
「雨降って地固まる」とはどういう意味ですか?
雨 あめ 降 ふ って 地 じ 固 かた まる
トラブルが発生したが、それが解決してしまうと、それが発生する前よりかえって良い状態になっていること、又は、往々にしてそういうものであるという達観。